現代の琵琶
古典的な楽曲だけではなく、独奏、合奏ともに様々な作曲が試みられている。古典のスタイルにのっとった新作もあるが、特に打楽器的効果の強い薩摩琵琶は、しばしば現代音楽にも用いられる。武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」、「エクリプス」などが有名。この他、和楽器オーケストラの中で薩摩琵琶や筑前琵琶が1~2パートを受け持つことも少なくない。また楽琵琶では、新作雅楽曲のパートとしての演奏のほか、奈良時代の楽曲の復元演奏なども試みられている。
日本の琵琶のいくつかに共通の事項
盲僧琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶は高いフレット(「柱」と称する)を持つ。それだけ弦を押し込むことができ、張力を変化させることにより音程を調節できる範囲が広い(柱によっては長三度まで)。中国の琵琶がフレットを増やして、楽器としての機能向上によって表現力を高めたのとは逆に、日本の琵琶はフレットを増やさず(場合によっては減らし)、その分演奏者の技倆をできるだけ活かして微妙な演奏を行うことを好んだ。また中国琵琶が金属弦を取り入れているのに対し、日本琵琶は絹糸の繊細な音色を大切にしている。いっぽうリュートが撥を捨て、指頭で弾くことから多音性を発達させ、弦数も増えていったのに比べ、日本の琵琶は逆に撥を大型化して一音にすべてを込め、また打楽器的効果を持たせた。
薩摩琵琶
薩摩琵琶は16世紀に活躍した薩摩の盲僧、淵脇了公が時の領主、島津忠良に召され、命を受けて、武士の士気向上のため、新たに教育的な歌詞の琵琶歌を作曲し、楽器を改良したのが始まりと言われる。これまでの盲僧琵琶を改造し、武士の倫理や戦記・合戦物を歌い上げる勇猛豪壮な演奏に向いた構造にしたものである。盲僧琵琶では柔らかな材を使うことが多かった胴を硬い桑製に戻し、撥で叩き付ける打楽器的奏法を可能にした。撥は大型化し、杓文字型から扇子型へと形態も変化した。これにより、楽器を立てて抱え、横に払う形で撥を扱うことができるようになった。江戸時代には「木崎ヶ原合戦」などの合戦を叙した曲が作られて次第に盛んになり、やがて武士だけでなく町民にも広まった。こうして剛健な「士風琵琶」と優美な「町人琵琶」の2つの流れが成立する。江戸時代末期に池田甚兵衛が両派の美点を一つに合わせ、一流を成し、以降、これが薩摩琵琶として現在まで続いている。
薩摩出身者が力を持っていた明治時代には富国強兵政策とも相まって各地に広まり、吉村岳城、辻靖剛、西幸吉、吉水錦翁などの名手が輩出した。また明治天皇が終生愛好し、明治14年5月に、元薩摩藩主・島津忠義邸にて西幸吉が御前演奏をしたことから、社会的な評価がさらにあがり、やがて「筑前琵琶」とともに「宗家の琵琶節」は皇室向けにしか演奏しない「御止め芸」となった。また、永田錦心が出て、洗練された都会的で艶麗な芸風を特徴とする錦心流を打ち立て、これが評判となり全国に普及した。さらに昭和に入ると水藤錦穣が筑前琵琶の音楽要素を取り入れた「錦琵琶」を創始した。楽器も筑前琵琶を取り入れ五弦五柱を持つよう改良された。その後、水藤錦穣と同じく錦心流から出た鶴田錦史が五弦五柱をさらに改良すると共に、音楽的にも新しい分野へ飛躍させた。それまで語りの伴奏として用いられてきた琵琶に器楽的要素を大きく取り入れ、語りを伴わない琵琶演奏、西洋楽器やこれまで協奏することの無かった他の和楽器との合奏、また錦心流を基礎とした琵琶歌の改良、など斬新なアプローチを行った。鶴田錦史の流れを汲む一派を「鶴田流」あるいは「鶴田派」と呼び、近年発展している。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
琵琶にはさまざまな種類があるんですね。
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